3月11日(金)
未曾有の大惨事がおきました。
人災でもなく天災の恐ろしさをイヤというほど映像で見てて当分滅入りました。というよりまだ滅入っています。
義援金、義援物資等を送っても滅入っています。生まれて初めての大災害です。
昔、父母より訊いた戦時を想いましたが、ひとつその当時と違っていたのは他国の援助があること、特に米国のoperation name
『Tomodachi』を聴いて最初はふざけるなと思ったけれど、今はそう思っていないよ。
米国の艦艇がいるだけでも頼もしく思えた。こういう時に頼れる国があるというのはありがたいと思う。
でも復興には長い長い時がかかると思います。
私たちも同じ日本人として、長いお手伝いをする覚悟がいると思います。
福島の知人i氏に当日携帯をしたが繋がらななった。
そしてテレビ等で携帯電話等を控える報道があり止めた。が4日目に同じ福島の違う知人となんとか携帯が繋がり大丈夫のこと、またi氏は浪江町より新潟県の避難所にいるとの事、連絡すると元気は無く不安な気持ちが目に映るようだった。そして南相馬のu氏も山形県に避難しているとの事でまずは良かった。昨々年、カーラで尾道水道クルージングして楽しんだ中の3人です。
生きてて良かったよ。
義援金は日本赤十字、義援物資はヘリハンの衣類等、
ラーメン等、電池、等は山形ベースに送りました。
住所が判ったi氏(長野県に移動)に救援物資(尾道ラーメン含)を送らせてもらった。
翌日、電話がかかり少し元気そうだったが、携帯の向こうの声からはこれからの不安とこれから始まる長い苦労が偲ばれた。
羽田の長女には12日にスーパーに行って頼まれた水2リットル12本と食料、米等を3箱に詰めてクロネコに行って送ったら翌日着いたとのこと。
しかし第2弾は3日かかった、そして地震後1週間後には余震と原発避難に春休みということでを孫2人を連れて帰ってきた。
婿殿を置いて帰ってくるなと言いたかったが、原発報道を聴いて頼り無く、また目に判らない恐怖から、帰って来いと思った時だったので空港まで3人を迎えに行った。
話を聴くと大変だったらしい。
落ち着くまで居れば良い。
3月20日(日)-22日(火)
19日に携帯電話に見知らぬ番号から電話、取ると女性の外人らしい声、『ヤマダサン』の声。
私びっくりして『フーアーユー』
私の片言英語と向こうの片言日本語で明日正午に尾道に着くとの事で
翌日正午に入港しました。艇は40ftでハルはマホガニー製、デッキはチーク材です。
初めて見ました。
オーナー夫婦はトムとビッキーさん。イギリス人ですが今はニュージーランドに在住して二人で世界一周を縦断横断としています。
大阪淡輪ヨットハーバーの柿原さんの紹介です。
3日間楽しく山幸ファミリーと過ごしました、
ビッキーさん曰くグッドダイミングとの事。
それは運良く帰って来た長女の英語にビッキーも私たちも助かったから。
震災で滅入っていた私たちファミリーに光明が差した2日間でした。たいへん喜んで出航しました、彼等はこれより広島経由で瀬戸内を抜け、日本海を北上して津軽海峡をぬけてアッツ島アリューシャン列島、夏のアラスカを通り、それから北米沿岸から、南太平洋よりホームポートのニュージーランドに帰るそうです。
壮大なプランに海洋民族というか海洋民族1000万人にも一人いるかいないかのレベルだ。
世界分の一に尾道をメモリーしておいてよTom&Vicky
Thanks You!! see you again