ようこそ!Captain YAMACOのホームページへ。日本全国のマリーナをめぐりながらの日本一周の旅。カタマランヨット cara(カーラ)の航海日誌です。

Captain YAMACO 案内記
日本一周クルージング
” 2003年~2006年にかけて

4年間、仕事をしながら

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沖縄2010-1

沖縄2010-2

の記録です。 ”
 
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■2010年南西諸島クルージング1(尾道~沖縄)

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更新日:2010/06/17
雨の中、尾道住吉神社にて祈願 これが後になっておかげとなるとは思ってもいない、、、、、

4月12日(月)大安

 いよいよ長年の夢である沖縄方面へ、そして南300kmの宮古島、石垣島そしてさらに日本最西端の与那国島、人の住んでいる最南端の波照間島へも行ってみたいと想って3年もかかった。

沖縄から南へ行くには近海仕様という日本小型船舶機構(JCI)のお済み付を取らなければいけません。いろいろと揃えなくてはいけないものがあります。

ライフラクト(救命いかだ)、衛星イリジウム電話もしくは小型船用イパーブが沿海仕様にプラスされます。

ライフラクト近海6人用とイリジウム電話をようやく今年用意できました。

これでようやく行ける準備が整いました。

雨の尾道水道、お見送り感謝いたします。

しかし尾道水道を西進中、霧が出てきまして、レーダーに漁船は映らず、こんなところで何かあってもと大事をとって内海フィシャリーナに引き返しました。残念ですが。

3日間かけて宮崎まで行って飛行機で広島西空港まで帰る予定でした。

それと気になっていたのが4日後の日曜日に母の白寿の会を準備しており、遅れることは絶対に避けたい気持ちがあり無理をしなかった。

第一回の出航失敗

大変帰になりました母の白寿です。大祝いです。
天気もまずまず

第二回は4月26日(月) くもりのち小晴 波高0,5m

am7:00内海フィッシャリーナ出港  

ゆっくりと楽しみながら二人で沖縄まで約10日かけて行くつもりです。

因島、岩城島の南を通って鼻栗瀬戸を抜けて、斎灘に入り中島を通り過ぎて怒和島の南にある上二子岩島、下二子岩島、怒和島とこの2つの島の間は200mあり、深さは100m近くあり、何度も通る水路てす。その日も深さを見ました97m『深いナー』と心でつぶやき、今日のお宿は周防大島にあるサザンセトの近くの森の漁港にお願いしています。夜食と風呂はサザンセトへ予約を入れてます。

今午後2時半です、あと1時間で到着かと、浜省の『america』を聴きながらバナナを片手で食べながら、風は5ノット、ブロード、リーチながらフルセールで7ノットで機帆走中です。その時左前方海中から茶色の噴流が見えました、何かと眼をこすって見ると茶色の藻が髪の毛のようにたなびいていたのてす。『こんなところに浅瀬かっ!!』と思った瞬間『ドカーンと急停止したと同時にバリバリバリっと船底から物凄い音』がして何かに乗り揚げました。二人とも大パニックです。カミさんは艇内より跳び上がってきて船首へ走っていき『バック、バック』私は船底に穴が開いて浸水していると感じ海保へ連絡しようと思い携帯を探したのですがありません、後で判ったのですが衝撃で前に跳んでいました。

周りを見渡すと近くの島に小さな砂浜が見えたのです。

あすこまで行こうと、そしてあすこまでもたなかったらライフラクト(救命いかだ)を使おうと腹をくくりました

次にカミさんからの声で『両舷浸水なし!!』

『えっー本当か』私も船底をチェックすると少し浸水していたのでビルジポンブ(排水ポンプ)のスイッチを入れた、、、、、やれやれだが兎に角ダメージのチェックだ

近くのシェルバックの脇坂氏に連絡をしたら調べてくれて北へ15マイル倉橋島のマリンクラフト風の子へが近いとのことでそちらに向かうことにしました。

二人とも意気消沈です、、、、、、

着いてパテで一か所は浸水が止まりましたが、もう一つスピードメーターのスルハル付近からの浸みてくる海水は止まりません。

それまではGWを使い2週間の休みを都合したのだから何んとかして応急処置してでも沖縄と思っていたのですが、

ビルジポンプを24時間回しながら沖縄まで行く自信はありませんし、船底外部がどうなっているのかも判らないなかでは引き返すしかないと判断して明日の朝一番で尾道に帰ることにしました。

木曽造船所に連絡して船台を明日、用意してもらい、

FRPの修理は岡田造船所に依頼して保険会社にも連絡して

長い一日が終わりました。

二人でさびしく艇で夜食をとりながらこの位で済んだのは住吉神社で祈願したおかげだと、また多くの友人にいただいたお守りのおかげだと二人して思うことです。

マリンクラフト風の子良いところでした。

4月27日(火)

 朝7時に出港しましたが大雨波浪注意報の中午後4時に尾道着ですが、満潮が明日午前11時のため、それまで緊急桟橋に係留しました。

夜中2時に浸水箇所を見に行き排水して帰りました。

座礁跡 

4月28日(水)

 朝8時行くとフィンキール内は海水でいっぱいです、すぐビルジポンプをまわし排水しました。

溜まるとスイッチが入り排水するオートスイッチがあれば良いと思いました。

そして近くの造船所で上架したら左フィンキールが損傷してました。すぐ修理して沖縄へと思いましたが1週間はかかるのと5月連休に入るため修理は連休明けになり完成は5月中旬ということになりました。

残念ですがしようがありません。

修理後、前より強化され12回縦横交互に貼ったFRP
コンテナのライフラクト

今年の1月にファーストマリンの関口社長から、5月ごろ座間味で10艇のラグーン社製カタマランを集めてパーティを開く予定があり、参加の誘いがあった、ちょうど今年沖縄方面へ行く予定だったので参加意向で返事をした。

行って見たいと思ったより行きたかった。

そのパーティの

日時 5月30日(日)

場所 慶良間諸島の座間味島

リベンジに向けて用意万端です。リキ入ってます。

5月19日(水) くもり雨 波高0,5~1m

第三回目の出航です。

2-3日前よりカミさん体調悪し又仕事忙しく行けそうにもない、回航屋の石橋さんと二人で奄美まで行くことにする。5月30日(日)のパーティまでには沖縄へ行きたかった

あと10日間しかない、そして私のジョブは

25日(火)広島am9:00~pm5:00

26日(水)27日(木)東京終日

31日(月)岡山pm3:00~

そうすると3日間で奄美まで持っていくのが精一杯だ、

関口社長に連絡すると、奄美まで取りに来てくれるとのこと、この言葉にほだされて行く決意は固まった。

とにかく奄美まで夜中を徹しても行けばいいのだろうと、

そのためには回航屋と二人で行こうと決めた。

脇坂氏に紹介してもらった回航屋石橋さんと

19日(水)午後1時に尾道の桟橋を離れた、二人分の4日分の食料、水、ビールを午前中に買出しに行き積み込んだ、そして石橋さんに打ち上げた『石橋さん、行けるとこまで行きたい、燃料、食料もある』と告げた石橋『沖縄までですか?』『そぉー行けるとこまで』『良いですよ、但し天候次第ですねー』『了解』『では行きましょう』と沖縄が見えてきた、ラグーンパーティが見えてきた。

それから石橋さんの提案で2時間交代のワッチが始った。

瀬戸内は母なる海のような気がする。

5月20日(木) くもり雨 波高1,5m

午前0時  三机港沖通過、

午前2時半 速吸瀬戸 通過

      豊後水道を抜けて宇和海へ入る

午前07時半 蒲江市沖 通過

午前11時半 日向市沖 通過

午後0時半 洋上にて軽油左右タンクへ54+54=108L

      右スクリュー 土のう袋引っかかる

午後05時  宮崎市沖 通過

夜、気が悪くなる、何故だ、考えてみた、外は寒く雨の中でのワッチ、中に入ると蒸し暑く汗をかく、それを2時間おきに繰り返す、食事も私が作るが、作りたくなくなった。

これは如何、よーし熱いシャワーを浴びよう、浴びると昔飼っていた犬が体を洗うのをためらうが洗ってやると凄く元気になっていた、それと一緒のようにシャワーを浴びるといきなりシャキとして、すき焼きを作り艇中でオーパイに任せ、リモコンで左右調整しながら窓から外をワツチしながらビールで乾杯して二人で食べた。美味しかった。シャワーを石橋さんにも勧めた、良い仕事できますよと。二日目の夜は更けていったが暗くなると雨風が強くなった。子供のときに雨の日に外で遊んだと思えば楽しくなる。

また元気が返ってきた。

夕暮れ時の海 東シナ海方面

5月21日(金) くもり雨 波高1m→1,5m

午前6時 種子島西之表港へ大事を取って燃料補給に寄るしかし目の前にGSは8時からだそうだ、何故か朝早くから旅行者っぽい年配の夫婦とか多い、、、

艇で朝飯を食べているとカミさんから電話で何処と聞くので種子島と云うと、じゃーもうすぐロケット上がるよ!!

えっーホントかよ、後8分後と聞いてデッキに上がるがどっちの方角かさつぱり判らないが、近くの4階建のホテルの屋上を見ると10人ぐらいの人が南を向いているので見ていると、見えた日本製のロケットだ『あかつき』元気よく

上がっていく成功だ。素晴らしいし、このときに合えたのも素晴らしいと感激する。

燃料100リッターをポリタンクに入れてわずか2時間で出港した。

種子島から奄美大島までは250km(135マイル)あり、途中携帯も圏外になる。 

6ノットで走っても、20~25時間はかかる

島も何もない景色が夜まで続く、さすが夜のワッチは眠たくなると思ったがとんでもない風雨が強くなり寝れるような状態ではなくなった、前線と一緒に南下している様子だ、夜中じゅう大変だったが 風25ノット前後 波高2m

眠たいぞ

5月22日(土) 雨 波高1,5m→1m→1,5m

午前08:00 奄美大島北 少し風雨が収まったが

      今夜から波浪注意報が出そうだ

 揺れない内に燃料タンクへ左64右62=128リッター入れる

午後02:00 奄美大島南 通過

午後05:00そして燃料タンクへ左25右30=63リッター入れる

午後05:00徳之島亀徳港沖通過 尾道より485マイル        trip7043

午後10:30沖永良部沖通過

風強くなり 波浪注意報 風30ノット左前

天気晴朗なれど波高し  残波岬にて

5月23日(日) 風が少し弱くなった くもり波高1,5m

午前1時30分 与論島通過

夜が明けると晴れてきた、南国の海の色になった が

天気晴朗なれど波高しの如く、高気圧の真ん中付近だが上空から風が出てくるのかすごい風だ、30ノツトのアゲンストに波も真正面だ、残波岬まで来て、えらい歓迎だ、ここから2-3時間の距離がタックを4-5回してもなかなか着かず結局5時間かけて20マイルを走破して疲れました。

午後3時 宜野湾マリーナ入港 関口社長と仲間さんに舫いを取ってもらってフィニッシュとなった。

616マイル 走行時間 96時間 6,4ノット/h

夜は宜野湾マリーナ前の居酒屋で関口社長にお世話になった、かんぱーい!!

帰りに函館からの付き合いの秋田マリーナのgreek小杉さんのヨットに顔を出してしばらく旧友を暖めた。

小杉さんは与那国の帰りだそうだ、年賀では4月に一緒に行こうと云われてましたが私には少し時間的にきつかった、でもこうして遭えて良かった。

また朝が明けた、、、清々しさを感じる
すき焼き

アルバム写真

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更新日:2014/01/14

ライフラクトの中身です。重さ60kg以上もあります。最初艇内の底に置こうと思い持っていくのが難しいということはイザと云う時に火事場の馬鹿ぢからがでれば良いが、まず私一人ではどうにもならないと感じ、最初のバッグ入りを諦めて、デッキ上に置くコンテナを高いが選んだ。地獄の沙汰も金次第

雨の中、見送りご苦労様です

行ってきますー!!

よーし!!

此処までは、、、、、

夕暮れの空

朝焼けの海

種子島西之表港

偶然見た『あかつき』の発射写真

種子島南

奄美大島北で手前の黒は黒潮の流れ

回航屋の石橋さん、山幸、マージュの金子さん宜野湾マリーナ事務所でばったり

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