8月7日(土)
波浪注意報、風警報 波高3mということで
出港を諦めました。
博物館いったり(石垣原人?)
サバニ船の造っているところ、、
仲間酒造という宮之鶴(泡盛)を造っているところ、
石垣の海が見える高台とか、友香里さんのジムニーで
案内してもらいました。
8月8日(日) 曇り 風 真向かい10-15ノット 波高2,5-3m
am1:00 石垣港出港
だんだんと風も波も強く高くなった。
変だ
正午やっと携帯が繋がる地域に入った(宮古島)そこで色々と情報収集すると、出港の12時間前より気象は随分悪くなっていた。行く先の沖縄近くでは大荒れで波高5-6mになっており、パソコンでその他情報収集時に突然『山田さん大変です、救命ボートで人が手を振ってます118番に連絡お願いします!!』と眼の良い賢ちゃんの声、
すぐ飛び出したとたん脛をおもいっきり出口で打ったが痛みは感じず双眼鏡で照準を合したらオレンジ色のゴムボートらしきが波高4mの300-500m先位に見え隠れしている。しかし人らしきは見えない、よく見ると黒い三角旗がはためいていた。なんだ網の印か?(後日宮古の海保の検閲時に聴くとそれは魚礁と云って浮きを深い海底に固定しておくとそれに小魚が集まりその小魚に大きい魚が寄って来てそれを獲るらしい)
あーびっくりした。でも賢ちゃんもこの荒れ具合に3-4mの波にもう12時間も翻弄されているので仕方あるまい。
そして情報によると宮古島の南30kmの低気圧がしばらくすると台風に変わるらしいとのこと、冗談じゃない我々はちょうど宮古島の北30kmではないか、知らずに沖縄方面に向かっていたら大事になっているではないか、それと、この2-3時間前に左エンジン不調で片肺走行でスピードは4ノットに落ちていた、風はずっと真向い10-20ノット、波も真向い3-4mで最悪になっていたので、すぐ決断した宮古島へ1分でも早く着こうと舵を切った。しかし30km(16マイル)に9時間を費やした。
すごい真向いの波5mと真向いの風20-25ノットに翻弄され右エンジンのみで速度2ノットを切るとオートパイロットは効かず、艇は舵を右に切っても左に回り込む、左エンジンがまともならと思うが、今さら無い物ねだりはできないと。
左エンジンは回転数を上げると真っ黒い煙を吐きオーバーヒートっぽくなる。
ひょっとするとセールドライブのスクリューの前にある清水ラジエーターを冷却する海水の吸水口に何か詰まったのかと思い、私は潜って点検しようと試みたがひどい揺れうねりで諦めました、流されてでもしたら舵も効かない船にどうやして助けてもらうのか(一応命綱つけていますが、、、、)疑問です。辛抱して真向いの風に対して30-40度の角度をつけてジグザクに進むことしかできません、しかし進行方向の速度は2kmだ。
もしこれ以上の風(二人とも本物の台風時での走行経験は無し)25ノット波高4-5mになったらエンジン一基では流され、この海域特有のリーフ(珊瑚礁)に座礁し艇はバラバラ、そしてイザと云う時の救命筏(ゴム製)ですので、後のことは推して知るべしです。
と筋書きを思ったら、俄然、勇気が湧いてきた、とんでもないこんなことで負けてなるものかと燃えたぎるものが生まれてきた。今できる最善を尽くそう、そして前に進まないという相棒にいや少しは前にすすんでいると励ましながら、頑張った。(本人は感覚的に島から離れて行くようにジグザグにタックをすると思えるがnaviでは少しずつではあるが近づいている。)
我慢と辛抱と不安に祈りと心は穏やかではないが耐えることしかできない。後は自然まかせ。
風も波も一気に揚がらず、強くなったり、少し弱くなったりの繰り返し、このまま宮古平良港まで続いてくれとタックを宮古島と伊良部島との間で繰り返している。
港に入る航路標識が見えた。安心は禁物だ。
港内に入った時にはもう真っ暗で行く時に出入りした航跡がnaviに残っていたのでそれに沿って入港した午後9時着延々20時間よく頑張ったものだ、左エンジンが調子良かったら沖縄方面へ行って取り返しのつかないことになつていたかもしれない、左エンジンのお陰だと手を合して合掌した。そして二人はしばらく放心状態が続いた。着いて艇で初めて食事らしきもの獲りをビールで無事を乾杯した、このこと一生忘れることはないと思います、
台風ってもっとはるか南で発生して何日も前から判り遭遇することはないと思っていたが、宮古島の西南20-30kmの低気圧が急に熱低になり6時間後には台風4号になること事態考えられません。
これも異常気象といってすませばそれまでだが、、
水温が30℃あった時、石垣の賢ちゃんはヤバイと言ってた、いろんなヒントが見え隠れしていた、それを見逃さないように。
宮古島平良港に